高槻市|山内整体院|3か月以上続く痛み痺れ|更年期障害・自律神経失調症 高槻駅徒歩3分

080-4390-5858

定休:水曜日午後、土曜午後、日曜祝日

プロフィール

当院のホームページをご覧いただきありがとうございます。

山内整体院の院長山内貴と申します。

当院は受付も施術もすべて私一人で行っています。
どんな人かというのは気になると思います。
そこでこのページでは、私のプロフィールを紹介いたします。

日が暮れるまで山や川で遊びまわる野生児のような子供でした

夕暮れの子どもイメージ愛媛県西予市で生まれその後すぐ高槻へ引っ越しました。

小さなころから高槻の山のほうで育ちました。夏は摂津峡で川遊びをし、冬は山で秘密基地を作って遊ぶ自然が大好きな子供でした。

夏休みや冬休みには家族で愛媛の祖父母の家へ車で行って、そこでもやっぱりカブトムシを捕る、雪で遊ぶなどしていました。

サッカーに明け暮れた学生時代

小学5年生で学校の部活動でサッカーを始めました。

思いのほか楽しく、6年生になると本格的にやりたくなり親にお願いし地域のクラブチームに入団させてもらいました。

中学校へ上がると同時にゴールキーパーにポジションチェンジしました。ゴールキーパー育成の環境が良く1年後には市の選抜に選ばれ、その後は地区選抜にも選出され、高校と大学はスポーツ推薦で入学しサッカー一色の学生時代でした。

と、書くととんとん拍子のように思われるかもしれませんが骨折、肉離れ、ヘルニアなどの大けがで辛い離脱期間もありました。この時の辛さは今でもはっきり覚えています。

だからスポーツをされている方たちのお力にもなりたいとも強くおもっております。

介護職との出会い

学生時代のアルバイト先がグループホーム(認知症対応型共同生活介護施設)も経営していました。

そのご縁もあり地元高槻のグループホームに入社。介護福祉士として介護はもちろんしておりましたが「入居者のみんなが元気になるには身体機能維持・向上も大事!俺はそこをがんばろう!」と機能訓練やフットケアを中心に従事しておりました。

介護から医療へ

グループホームでは入居者さんを近所の病院へお連れしリハビリを受けることもありました。

また、往診で整骨院の先生が来られ施術しているところを何度かみることがありました。

その都度、自分が介護福祉士として機能訓練やフットケアをしたあとの入居者さんの状態と、理学療法士や柔道整復師が専門的な知識や技術をもってリハビリや施術をしたあとの入居者さんとの状態の差を感じたものです。

当然、理学療法士や柔道整復師の人たちのほうが入居者さんの体の状態を改善できているのです。

「俺もあんな風に歩くのが大変だった人をスムーズに歩けるようにできるように、痛みで困っている人の痛みを取り除いて笑顔になってもらえるようになりたい」とおもい介護から医療の道へ進むことを決心しました。

整骨院へ

さまざまな施術院で患者として施術を受けるイメージ
グループホームを退職し、整骨院への勤めが始まります。

朝出勤し昼休みには専門学校へ行きその後また整骨院へ戻り夜遅くまで勤めていました。仕事と勉強をがんばる毎日です。

地域のみなさんから厚い信頼を得ている院長先生のもとで様々なことを学ばせていただきました。

とても素敵な院だったのでいつまででも働かせていただきたかったのですが「柔道整復師として骨折、脱臼の整復と固定ができるようになりたい」と思い専門学校卒業と同時に大阪でトップクラスの整形外科に面接をお願いし無事入社することができました。

病院勤め

入社した病院では骨折脱臼の整復固定はもちろん、それ以上に患者さんやケガや仕事に対する向き合い方を教えていただきました。

柔道整復師の同級生や知り合いからは骨折脱臼の整復固定の経験をうらやましがられたりすごいねと言ってもらうことが多くありましたが、個人的には前述したことが私の財産となり仕事に対する基盤となっております。

それが染み込みそう振舞うことにより、自分にも他人にも厳しい「鬼軍曹」と陰で呼ばれていました(笑)しかし、それは自他共に成長し患者様へ還元できるようにするため当然のことなのです。

再び整骨院へ。日本オリンピック委員会強化スタッフ、セミナー講師、山内整体院開業

前述のとおり病院でも多くのことをご指導いただきました。

その分ハードで、夜通し話し合ったりして朝までコースも珍しくありませんでした。

そんな中、私に長男が誕生し、同時に父の体調も悪くなり働き方を見直す必要が出てきました。

地元に求人募集しているグループ系の整骨院があり、詳しく条件や院の方針を確認すると自分とマッチしており面接を受けることにしました。結果、無事入社しました。病院勤務時代の経験から早速院長として勤めることに。

病院へ来られる方と整骨院へ来られる方は微妙に違いがあり、すべてのケガや身体の悩みに対応しきれるわけではなく、都度勉強会やセミナーなど多くの時間とお金をかけて知識・技術を習得し続けました。

その結果、日本オリンピック委員会強化スタッフとしてトップアスリートの施術をする機会にも恵まれました。

また、社内研修はもちろん、北は北海道から南はベトナムまで様々なところでセミナー講師として施術の勉強会を開催することになりました。

この時「自分一人ががんばって施術するよりこうやって施術できる人を輩出していくほうが世のため人のためになる」と思ったものです。

イタリアの治療家の方が来日されマンツーマンで研修したこともありました。

しかし、徐々に「やっぱり自分の手で施術して抱えている悩みを直接解決していきたい」と思いセミナー業から現場の仕事へ戻ることになりました。

そのおもいはどんどん強くなっていき「ほんとうに困っている人」「手術をせずに治したい人」「諦めている人」いわゆる重症の方の力になりその悩みを解決していきたいと具体的に変化していきました。

しかし、雇われの身で自分のしたいことだけはできないという現実とそろそろ地元で働き家族に何かあった時にすぐにかけつけられるようにしたい。と考え高槻市にて『山内整体院』を開業する運びとなりました。

紆余曲折(?)ありましたが、学生時代のケガの苦しみ、介護職時代の治療技術を持っていない自分へ感じた無力さ、医療の道に進み『ほんとうに治せる人になる』『深く辛いお悩みを解決できる人になる』というおもい、全部ひっくるめて山内整体院を開業しました。

私のすべてを出し、ご来院される皆様へ還元していきたく存じます。